【四国】東赤石山
1706m 八巻山 1698m  物住頭 1635m 西赤石山 1626m
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物住頭付近のアケボノツツジ  


【 日 付 】  2017年5月18日(木)
【 山 域 】  四国
【メンバー】 六右衛門
【 天 候 】  ガス時々晴
【 ルート 】  筏津登山口 6:20 → 9:00 赤石山荘 → 9:35 東赤石山 → 9:40 三角点 9:50 → 10:28 八巻山 → 10:52 赤石山荘
                    11:00 → 11:50 物住頭→ 12:35 西赤石山 12:40 → 13:50 銅山越 → 14:27 ダイヤモンド水 14:45 → 15:20 日浦登山口
                   (車同乗)→ 15:35 筏津登山口

 四国の赤石山系は旧別子銅山のあたりに有り、三島川之江ICから国道11号、ついで319号に入るとまるでスカイラインのように急激に高度を上げて法皇トンネルで山脈を越える。
法皇トンネルは1600mくらいある長いトンネルだが、狭くて離合は困難でトンネル内に数カ所待避所がある。
いったん下って県道6号線を銅山川に沿って遡ると富郷ダムが有りようやく筏津に到着する。路駐している車が4台あったが、筏津山荘(今はない)の駐車場に駐めることにした。

 筏津の登山口にはトイレが有り、出発すると道は基本的に瀬場谷の右岸の高巻き道である。最初は急登だが緩くなるので瀬場谷が追い付いてくる。
巻きが終わって橋を渡ると今度は左岸の高巻き道だ。もう一度沢が追いついてきて渡渉点で再度右岸に移り、もう一度渡渉するとさすがに沢を離れてゆく。
瀬場谷は岩っぽくて小滝や滑めがあり沢沿いには道は作りにくかったようだ。





      
橋を渡る地点の瀬場谷 渡渉点付近の瀬場谷

 
ミツバツツジ、アケボノツツジ、イシヅチザクラがちらほら咲いているが、山頂付近にはガスが上がってきた。
赤石山荘に着くと赤石山荘主人 安森滋 自叙伝 「四国赤石山系物語」定価3,000円 1035ページ の宣伝があり、1035ページとは凄いなあと感心したが山荘は閉まっていた。





      
イシヅチザクラとアケボノツツジ 赤石山荘は閉まってました

 わずかの登りで東赤石山の山頂に着くが、ガスで眺めはだめだった。




      
東赤石山から新緑の尾根




      
八巻山方面 八巻山の中腹に何となく巻き道が・・・

 
八巻山へは稜線通しで岩稜を進む。
八巻山からの下りは結構岩をまたぐところなどが有り、慎重に進むので時間がかかり、ガスも取れないので面倒になりコルから赤石山荘に下ってしまった。

(ここも難路と書いているが大したことはない。) で山荘でどうするか考えたが、少考で再び石室越に登り直し、縦走を続けた。虫がやや多い道である。




      
イシヅチザクラ





 
西赤石山方面 アケボノツツジ

 西赤石山までたどり着くとアケボノツツジがそこそこ咲いている。花をお目当てに多くの人が来ていた。





 
アケボノツツジ 1




      
アケボノツツジ 2




      
アケボノツツジ 3

 
後 は銅山越の峠を経て、日浦登山口に下るのみである。このコースは別子銅山華やかなりし頃の遺構が数多く有り、栄華の跡が偲ばれる。
人夫が銅鉱や食料を背負ってこの銅山越を越えて運んだそうだ。この峠は1300mもあるので冬は特に大変だったと思われる。
斜坑の跡があり、
勢い良く湧き出すダイヤモンド水でコーヒーを飲んだら、後はよく踏まれた道を下るのみだ。

こ こには資材庫、劇場、郵便局、最盛期には生徒300人の小学校やレンガ造りの壁が残る接待館まであったそうだ。
また酒の醸造までここで行っていたという。(銘柄名は「ヰゲタ正宗」!)
この山中に一大都市が出現していたとは想像できない。

 しかし銅の精錬に木炭を焚いていたというから煙害がひどかったようでその測候所もあったという。
また沈殿させていたとはいえ、重金属などの公害も当然ひどかったと思われる。





      
小学校の石垣跡 かなりの長さだ。


 日浦登山口に降り立つとここにも駐車場が有り、筏津までは約6km車道を歩くか17:00のバス(土日は14:00)のつもりだったが、
時刻は15:20で中途半端。仕方なく歩き出すと日浦に降り立つ直前に一緒になったご夫婦が車で送って下さるという。
有り難く乗せて頂き、10分ほどで筏津に戻ることができた。ありがとうございます。


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